本気でプロゴルファーを目指した7年間
私は幼少期からスポーツが大好きだったということもあり、小学生の時はサッカーに夢中で、4年生から6年生までキャプテンを務めたり、地域の代表にも選出されたりと、そこそこ上手かったと自負しています。
ただ6年生になって、他の子の体格も大きくなっていく中で、私はかなり小さいままだったんです。背の順で言うと前から2番目でした。
そんな中、中学に入学する際に多数のクラブチームよりお声掛けを頂いたのですが、ふと、これからの人生のことを考えると、サッカー選手にはなれても活躍して、それで飯を食っていくということが果たしてできるのだろうか、それが自分のやりたいことなのかどうかと考えていた時に、父親にゴルフの練習場に連れて行ってもらいました。
そこで初めてゴルフクラブを握り、何回か素振りをして、実際に打っていくのですが、それが最初から上手く当たったんです。私自身当たるのは当然だと思っていたのですが、周囲の人からは「すごい」と言ってもらったり、「才能がある」など、ちやほやされていました。私はゴルフであれば体格に関係なく勝負できるのではと思い、ゴルフを本格的に始めました。
やるからには本気でプロゴルファーを目指して取り組むと決めていたので、学校が終わると、すぐ着替えて練習の用意をして、バスを利用して練習場へ行っていました。
毎日500球以上打って、パター練習して、バンカー練習して、トレーニングしていると、上達も早く、ゴルフを始めて1年ちょっとでシングルになり、3年目で全国大会に出場し7位に入賞しました。それからは様々な大会で優勝や上位入賞など実績を残していきました。
そして16歳の時に両親に相談してオーストラリアへ計1年ほど留学させて頂く機会を頂き、オーストラリアでベビーシッターや語学、文化交流など様々な経験をさせて頂きました。またゴルフもオーストラリアのプロの大会を含め、いくつか出場したりと貴重な経験をさせて頂きました。
その経験を経て、帰国後、国内の試合に出場して結果を出して、プロテスト受験日を迎えました。プロテストは「プレ予選」から始まり「一次、二次、三次、最終予選」と5回に渡り、絞り込まれていき、最終的には50名ほどのプロゴルファーが毎年誕生していました。
毎年2,000名ほど受験する中での50名なので倍率は非常に高く、厳しい壁ではありましたが、私自身もっと先の高い目標を掲げていたので、プロテスト合格自体は通過点でしかなく、合格して当然だと思っていました。もちろん厳しさは知っていたので、簡単には合格できないとは分かっていたものの、合格するのは当然と思っていました。
ただ現実はそう甘くはなく敢えなく三次予選で落ちてしまいました。
合格するのが当然だと思っていたので、落ちた瞬間、私の中で何かがおかしくなりました。
今までたくさん練習してきて、トレーニングもたくさんしてきて、絶対に合格するというメンタルにおいても磨き上げてきたにも関わらず、三次予選で落ちてしまった現実と向き合った時に、「もう自分には無理だな」と思うようになりました。
それぐらいたくさん練習してきて、毎日ゴルフのことを考えて、その上で落ちたということは、この先プロテストに合格したとしても活躍できないと思い、2ヶ月ほど悩みましたが、プロゴルファーの夢を諦める事にしました。
その2ヶ月の期間で、ゴルフ人生の7年間を思い返していたのですが、なぜそこまでストイックにゴルフに向き合っていたのか、に対する答えが見えてきたのです。それは「活躍してビッグになりたい」「世の中にインパクトを与えたい」という欲求こそがそこまでの気持ちにさせていたのです。
そして、その欲求を満たす方法はゴルフ以外にないのかと探していた時に、その当時出会った社長が私の生き方を決定づけました。
その社長は従業員100人以上の年商10億円以上の会社のトップでした。
そんな方がゴルフをしていて、すごく楽しそうだなと思ったのと同時に、社長ってかっこいいなと思ったんです。幸いなことにゴルフをしていたこともあり、社長という存在がかけ離れた存在ではなく、身近でリアリティーがあったので、当時から社長に対して色んな質問をしていました。売上っていくらぐらいですか?とか従業員は何人ですか?とか悩みは何ですか?とか、その過程を経て、社長ってすごい社会に対して影響力が大きい存在だなと思い、将来社長になりたいと思うようになりました。
18歳で営業マンデビュー
社長になりたいと思うようになってからは、どんな社長が理想なのか、ということを常に考えながら、まずは理想の社長になるために社会を知る必要があると思い、営業をすることにしました。
当時18歳で、ゴルフしかしてこなかった自分が、スーツの着かた、ネクタイの締め方、ビジネスマナー、全てにおいて分からないまま社会人となったのですが、本当にたくさんの人にビジネスの基本を教えてもらいました。時には名刺の渡し方で怒られたり、今では考えられないような失敗を幾度となくしていました。そんな経験があったからこそ今があると思っています。
当時はファッションの卸営業という仕事で、街中に出向き、スーツケースをもって、服やスマホケースなどレディースアパレルグッズを飛び込みで販売していました。かなり泥臭い仕事ではありましたが、若いということもあり、ガンガン受注し、お客様もたくさん増えていきました。
営業という仕事を通じて本当にビジネスの基礎を学びました。
あいさつ、コミュニケーション、テレアポ、飛び込み、スクリプト作成、リスト作成、提案書作成、見積書作成、請求書作成、契約書作成、スケジュール管理、タスク管理、プロジェクト管理、サービス開発、など多岐にわたる業務を18歳で経験できたことは今でも役に立っています。
結局1年ほどで退職することになったのですが、なぜ1年で退職したのか、それはインターネットに興味を持ち始めたからです。
営業時代のとあるお客さんから「後藤くん、ホームページって作れるの?」と聞かれ、私は即答で「はい!作れます!」と回答したことがありました。
ただその当時の私はホームページのことすら何か分かっていませんでしたが、営業の性なのか、即答で「できます」と答えてしまったのです。
さて、できますと言ったものの、ホームページって何?というところから入ったので、調べながら、ホームページというものを理解していきました。
それからは見積書作成、契約書作成、など調べながら行い、ようやく契約になり、ホームページを作っていこうとした段階で、社長に「こういう案件があり、契約しましたので、外注を探してホームページを完成させても良いですか」と事後報告をすると、激怒されまして、業務時間外に自分でやれと言われたので、仕事が終わると、ホームページのことを調べながら一生懸命作っていました。
そしてなんとか完成し、納品したところ、お客さんにめちゃくちゃ喜んで頂いたのです。
正直驚きでした。
そこで感じたのが、「このビジネスは面白い」ということです。
ようするに、今までは有形商材を販売しており、在庫を抱えたりなど様々な外的要因があるなかで売上を上げていかないといけなかったのですが、ホームページは作って、納品して完了なので、在庫は抱えずに、外的要因も無く、一人で納品することができるので、リスクがほとんどなくビジネスができるということです。
それは営業マンにとって、在庫リスクが無いというのは非常に営業しやすいですし、会社的にも当然リスクが少なく合理性があると思ったので、社長にホームページを作る事業部を作りたいと打診したのですが、あっさり断られ、「それじゃあやめます」といった感じでやめて制作会社で働くようになったという経緯です。
若気の至りによる失敗
そして制作会社で働くようになり、ちょうど19歳か20歳ぐらいのときに、またふと自分の人生を考えていました。20歳というのは人生において大きな転換点だと感じており、何かしないといけない、何かしたい、といった欲求がピークに達していたので、社長になりたいと考えていたこともあり、今すぐ起業しようと、何も準備をせず起業しました。しかも当時在籍していた会社で働きながらです。
事業内容としては唯一知識が膨大にあったゴルフで勝負しようと思い、ゴルフのイベント事業やコンペ代行などで展開していったのですが、当然何も分からないまま勢いだけで起業したので、全てに対して空回りしました。当時を今振り返っても恐ろしいです。。暗黒時代ですね。。
要は会社経営や経理なども分からないままビジネスをしていたので、今月いくらお金が入り、いくら出ていくのかすら計算していませんでした。。。完全に勢いだけです。なので、仕事は多少発生し、お金は頂けていたのですが、その金額自体採算が取れていなかったり、見えないお金なども発生したりと、忙しい割に、全くお金が残らなくて、ほんとに苦しかったです。アルバイトもいたので、その子たちにも給与を払わないといけない。また当時付き合っていた彼女(現奥さん)と同棲していたので、お金を稼がないといけないということもあり、日中はゴルフの仕事や制作会社の仕事をやったり、夜は吉野家でアルバイトしたり、ほんとに寝る間を惜しんで働いていました。
そんなこんなで、ゴルフ事業は上手くいかず1年ちょっとで畳むことにしました。表向きにはインターネットのことをもっと集中して勉強したいからという理由で畳みましたと話しているのですが、実際は事業を継続させるだけの力が無かったからという理由で畳んだのです。(ちなみに当時奥さんのお腹には赤ちゃんがいました。)また当時21歳という若さで700万円の借金を抱えてしまいました。(4年後の25歳で無事完済しました。)それからは制作会社で、ディレクターになり、営業になり、とWEB業界で幅広い知識、技術を学びました。
新たな決意で人生2回目の起業
そうして会社を畳んでから1年半ぐらいで一通り、一人でも稼げる知識、技術が身についたので、また前回の失敗要因なども理解できていたので、このタイミングで2回目の起業をしようと思い、2社目の株式会社リエイトを22歳で設立することになりました。
2社目は絶対に1社目のような失敗はしないと堅く決め、とにかく会社として当たり前のことを当たり前にできる環境を作り、売上・利益を追求しようと思いスタートさせました。
まずは好きなことを事業として行うのではなく、今の私の環境、知識、リソース、全てを考慮した上で一番合理的なビジネスを展開していこうと思い、それがWEBサイトの受託制作事業やマーケティング支援事業であったので、それから始めようと思いスタートしました。
組織崩壊
会社を設立して3期目まで売上は右肩上がりで、従業員もMax10名ほどいました。
当時の私は社長業ではなく、プレーヤーとして営業からディレクションまで幅広い業務を担っていました。当時は今のようにリモートワークではなく全員出社という形でしたが、私は全国飛び回っていたので、オフィスにいることが少なく、従業員とのコミュニケーションが取れず、関係値は希薄化していっていました。
また、従業員は制作スタッフがほとんどで、私の高い要求や厳しい納期に嫌気をさしていたと思います。そしてある時期から従業員が1人ずつ辞めていき、最終的には私一人だけになってしまいました。
すごく悲しい気持ちになったと同時に経営者としての能力の低さに絶望していました。
ただ、そう長く悲観している状況ではなかったので、前を向いて進み始めました。
新型コロナウイルスにより既存取引先からの売上が0に。
前を向いて進み始めた矢先に日本中、いや世界中を恐怖に陥れた新型コロナウイルスが蔓延したことにより、対面でのビジネスが厳しくなり、その結果、既存取引先からの売上が0になり、途方に暮れました。
もちろん私の会社だけがそういう状況になったわけではなく、日本中の企業が大変な状況だったと思います。
私はそこから冷静に状況を見て、今までは下請け業をメインにやっていたところを、直請け業をメインに切り替えるとともに、単発での制作ではなく、サブスクモデルのホームページ制作事業をやろうと意思決定し、そこから広告や営業活動を集中させ、4年で累計300社以上にご利用頂くまでになりました。
人生をかけた新規事業に3000万円投資して、2年で撤退
サブスク型ホームページ制作事業が軌道に乗り始め、さらに事業を拡大させようと考え、
新規事業を模索し始めました。これまでの経営の中で新規事業をいくつも立ち上げてきて、上手くいったものもあれば、上手くいかなかったものもあります。その多くをM&A・事業承継という形で譲渡してきました。今では合計8回のM&A・事業承継の実績がありますが、当時でも5回はM&A・事業承継を経験していました。
そういうこともあって、次やる事業は長くやりたい、長くできる事業が良いと思い、人生をかけて考えました。そして行き着いたのが「地方創生」という地域経済を活性化させるための事業の方針に決まりました。方針が決まれば具体的にどういった事業を行うのかを考え、2,3ヶ月かけて決まりました。当時の株式会社リエイトでは特に地方中小企業のマーケティング支援をメインに行ってきました。またコロナウイルスの影響もあり、地方のメーカー様からのご依頼が増えてきたタイミングでもありました。そこでお客様へのヒアリングを通して、マーケティングにおける課題がたくさんあると思いました。
地方のメーカーは作ることで精いっぱいでそれをより多くの人に知ってもらうPRやマーケティング活動が全くと言っていいほどできていませんでした。そこで我々が支援することで本当に良い商品を多くの人に伝え届けるというご支援をさせて頂きました。
すると顕著に売上にもつながり、お客様は大変喜んでいました。そこからは実績が紹介を呼び、どんどん地方メーカー様からのご相談が増えていきました。当時は本当に少ないリソースで事業活動をしていたので、1社1社と向き合って、お客様の課題を解決していくことが困難になっていました。そこで考えたのが私たちがリスクを取って、地方メーカー様が作られたモノを仕入れ、消費者の方に直接販売するいわゆる小売り業を行えば、地方メーカー様の課題を広く解決することができると思い、地方の特産品を集めたセレクトショップをまずはインターネット通販から始めました。半年ほど運営しましたがあまりうまくいかず、催事などリアルの活動を増やしていきました。そうするとリアルの方が上手くいくのではという手ごたえを感じ、常設型の店舗をどこかに出店しようと思い、たまたまご縁があった私の地元のイオンモールへ出店することが決まりました。
イオンモールへの出店に際して膨大な準備を経て、無事出店できました。
オープン3日間は本当にお祭り状態で、これはすごいことになると関係者とも話をしていました。その結果1ヵ月目は800万以上の売上を作ることができました。
「よし当たった」と今となっては大きな勘違いをしてしまい、今後は複数店舗出店していくであったり、フランチャイズ化計画も行っていましたが、次月から売上はみるみる下がっていき、半年後には月250万ぐらいまで落ちていました。やはり商売は難しいと痛感した時期でした。オープンしてから8ヵ月目ぐらいで退店を視野に検討し始めました。
理由は私が想定していた以上に原価の高騰とそのスピードが原因でした。もちろんその他にもたくさんありますが、全て踏まえた上で私の経営能力の無さを改めて痛感しました。
そして、関係者とも何度も相談し、かつ私自身も人生をかけた大勝負でしたので、非常に悩みに悩みましたが、最終的には退店するという意思決定をしました。
オープンしてから1年弱での退店は本当に情けない結果であります。
この新規事業にかけたコストは約3000万円、そしてかけた労力や工数は計り知れません。
この結果を踏まえた学びは「好きな事、やりたいことだけでは事業は上手くいかない」ということ、これは20歳の時に起業して清算したときと同じ失敗で2度も同じ失敗をしてしまいました。そして初めからイオンモールに出店するという「見栄」が破滅を生んだのかもしれません。
もっと小さく始めても良かったのではと今となってはそう思います。
ただ、この経験は私の人生にとって代えがたい経験となりました。
これからは「やりたいこと・好きなこと」という軸ではなく「できること・役に立つこと・得意なこと・求められること」をやっていくと心に誓いました。
兄の突然の訃報
この時期は本当に悪い出来事がたくさん重なりました。それはお店の撤退の前に起きた出来事で、私の兄が自殺したという耐え難い出来事でした。
ここではあまり詳しくは話しませんが、身内でかつ唯一の兄が亡くなったという事実は本当にショックでした。兄とは子どもの時こそ喧嘩したりしてましたが、大人になって一時期は疎遠状態でしたが、歳を重ねていく上で、関係性は良好になっていました。
そしてこれから一緒に色々とできると楽しみにしていた矢先に訃報が入ってきて、35歳の若さで天国に逝きました。
あれからまだ日は経っていませんが、今は兄の分まで精いっぱい生きていこうと心に強く誓っています。
M&A最中にストレスで救急車に運ばれ緊急入院
M&Aを考え始めたのは、サブスク型ホームページ制作やマーケティングなどのIT事業が軌道に乗っている一方で、乏しいリソースの状況もあり、満足のいくサービスをお客様に提供できているのかと考えていました。
新規での受注が増えていく一方で解約も増えていきました。これではバケツに穴が開いている状態と同じなので、この状況を何とかしようとあの手この手で色んな策を講じましたが、根本的なリソース不足は解決できませんでした。
そのような状況の中で創業当初から取引のあった会社の社長から連絡が入り、一緒にやらないかとお誘いがありました。
そこからM&Aを本格的に進めていく流れになり、計20社以上からオファーを頂き、その中からこの金額であれば買いたいというオファーも5社ほど頂きました。
今回のM&Aはお金ももちろん大切ですが、それよりも今のお客様を安心安全に引き継げる先かどうかを一番重要視していたので、必然的に譲渡先は同業者になると想定していました。
色々と悩んだ末に一番最初にオファーを頂いた会社に譲渡することを決めました。
基本合意を締結し、DDと呼ばれる企業調査を行っていく流れですが、今回の私のM&Aは非常に複雑なスキームとなっており、当時事業を複数やっていたので譲渡対象ではない事業を新設分割という形でカーブアウトさせてM&Aを行うということを同時進行で進める必要がありました。案の定すごく大変な手続きで、これを仲介会社を入れずに私一人で推進していきました。
一番しんどかったのが従業員への説明で、当時15名ほど在籍していたので、みなさんと日程調整をして1人ずつ丁寧に説明をしていきました。
私は基本ストレス耐性が強い方だと自負しているのですが、身体は正直なもので、限界を感じていたのでしょう。従業員説明をしている期間中にストレス性の急性胃腸炎と脱水症状による上半身麻痺になってしまい、救急車に運ばれ緊急入院をしました。
病院の先生にちょっとでも救急車を呼ぶのが遅くなったら、後遺症が残ったり、色々と大変な状況になっていたと言われ、本当に死を彷徨いました。
M&Aが関係しているか分かりませんが、ある程度の負荷がかかっていたというのは間違いありません。それぐらい大変なプロセスということです。
M&A成立後とこれからについて
大変な状況を乗り越え、何とか無事成立しました。
そして引継ぎも行い、良いディールになったと今振り返ってそう思います。
今回のM&Aにおける買い手となった株式会社ユーティル様との対談記事をご覧頂き、リアルなやり取りをご覧頂ければと思います。
>AIが変えるWeb制作市場の未来とは?ユーティルがM&Aで描く「顧客に選ばれ続ける」成長戦略
これからについては、私のこれまでのM&A・事業承継の経験や中小企業の黒字経営の経験、マーケティング支援やDX支援等の経験を活かして、地方の中小企業を強くし、未来を紡ぐお手伝いができればと考えています。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
私がどんな人でどういう人生だったのかを少しはご理解いただけたかなと思います。
1人でも多くの中小企業経営者のみなさんのお役に立てるようこれからも精進して参ります。
今後とも宜しくお願い致します。